陶器よりも軽く丈夫な磁器で有名な有田焼の特徴

 

陶器よりも軽く丈夫な磁器で有名な有田焼の特徴

有田焼とは、佐賀県の有田町周辺の窯元で焼かれた磁器のことを総じてそう呼ばれています。
陶器と比べても硬く丈夫で透明感のある白磁に、鮮やかな色彩の模様が繊細に施されているのが特徴です。
江戸時代の初頭に、とある朝鮮の陶工が有田で磁器の原料となる陶石を発見したことが発祥の起源と言われています。
陶石は陶土と違って、白くて堅く、吸収性がないという特性を持っています。
この陶石の発見をきっかけに、有田の地ではじめて磁器の焼成が行われるようになったとされています。
薄くて軽く、ひんやりとした感じで、ガラスのような滑らかさ硬さが魅力の磁器です。
耐久性が強いうえに吸収性がないために、陶器と同じように食器としての使用に最適です。
1600年代当初、有田で作られていた磁器の多くは、伊万里港から海外へ輸出されていました。
もともと有田は海に面していないため、10数キロほど離れた伊万里の港を積み出し港としていたのです。
そのため、有田焼のことを別名、伊万里焼とも呼ぶことがあることでも知られています。
有田焼特有の強度と神秘的な透明性は、陶器とは違った魅力を持っています。
光を通すほど薄く作っても優れた強度を持っていて、指で弾いた時にキンという金属音にも似た音がします。

有田焼の陶器の歴史をたどる

 

有田焼は日本の陶器の中でも綺羅びやかで、染付職人の手によって描かれているので他の焼き物とは一線を画すものとなっています。

・有田焼専門店 https://www.toukidou.com/

この地域の陶器に関しては、場所的なこともあってひと目で海外の影響を受けていることが分かります。
それもそのはず、色使いといい朱印船貿易が栄えた時代の明の時代の中国の影響を強く受けているのが有田焼の特色とも言えるのです。
ただ、焼き物のデザインを見てみても明だけの影響を受けているわけではないことは明らかであります。
歴史は秀吉の時代にさかのぼります。
戦乱に明け暮れていた頃に、すでに豊臣秀吉によって朝鮮青磁が見出されていました。
その指南役となったのが他でもない千利休だったのです。
利休の指導もあった秀吉は朝鮮の陶器に浸水したといいます。
朝鮮出兵の際には多くの朝鮮の職人が捕虜として日本へ連れて来られました。
朝鮮の職人たちは日本での職人の地位の高さに驚き、重宝されたことからこの地に居着いて陶芸の技術や釉薬の使い方などを伝え、有田焼の発展に大きく寄与したと言われています。
あまりにも美しいことからヨーロッパ人の目に止まり、江戸時代にはオランダなどへと輸出が始まるようになったとの記述が残されています。