素朴な味わいをもつ信楽焼陶器の歴史

 

素朴な味わいをもつ信楽焼陶器の歴史

狸で有名な信楽焼は滋賀県甲賀郡信楽町の盆地で作られています。
信楽焼の歴史は742年(天平14年)に聖武天皇がこの地に紫香楽宮を造営されたときに建造物の瓦を焼いたのが始まりといわれています。
その後、平安時代末期から鎌倉時代初期に、農家向けの壷や甕、すり鉢などの日用雑貨を中心に生産されるようになったといわれます。
普段の生活に使用される陶器であるため、素朴で丁寧に作られていることが、わび茶の祖といわれる村田珠光(1423-1502)に気にいられ「無作為の美」とたとえられるほどに珍重されました。
こうして農家の作業場の片隅に置かれた各種の壷などが歴史の表舞台に出ることとなります。
油壺や酒壷が花入れとして、種子などを貯蔵する種壷や茶壷が花生けに使われ、糸を巻き取る道具の容器となる苧桶は水さしにと、信楽焼は茶道具の生産を主とします。
しかし、千利休(1522-1591)の死後、茶道具の需要が減少し、当初の農家向けと合わせて一般家庭向けに販路を広げます。
土瓶、土鍋、とっくり、植木鉢、神仏具、行平(注ぎ口と取っ手を付け、ふたのある土鍋の一種)などの陶器が作られました。
また、茶壷は、この地で古くからお茶を栽培していたため技術的に高く評価された陶器となっています。